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三津浜歴史探訪 その6 「日本初の軽便鉄道は三津〜松山間」

  • 執筆者の写真: mitsuhamahanabi
    mitsuhamahanabi
  • 2012年6月20日
  • 読了時間: 1分

更新日:2024年10月22日

明治21年10月28日、日本初の軽便鉄道が三津〜松山間に開通。明治19年12月に敷設の許可を得ますが、なにしろ日本では他に例がないため、機関車や客車はもちろん、レールも日本にはありません。


そこで、遠くドイツのクラウス社から輸入することになり、次々と到着した資材は、神戸から三津へ回送され、無事開業の運びとなります。夏目漱石が小説『坊っちゃん』で「マッチ箱のような」と形容したことは、皆さんご存知ですよね!


三津〜松山間の所要時間は28分、運賃は3銭5厘。順調な業績から、明治25年には高浜まで延長されます。その後の明治44年、三津の有志は伊予鉄に対抗して、三津(江の口)〜道後に至る「松山電機軌道」を設立し、伊予鉄も負けてられないと、蒸気機関車の軌道を改修し、電車の運転を始めます。この両鉄道の熾烈な競争は全国的にも話題になりました。


その後、両者は合併し現在に至っています。今ではその面影も無くなりましたが、松山ー高浜線は今日ものんびりと走っています。(※但し、花火大会の日は凄いことになります)



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