三津浜歴史探訪 その23 「かつて三津には映画館が3軒あった」
- mitsuhamahanabi
- 2018年6月11日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年10月22日
一つは「永楽座」で昭和41年に閉館(私の記憶には残っていません)。
もう一つは「電気館」。全国的にも同名の映画館が各地にありましたが、昭和33年に「三津東映」と改称。しかし、昭和45年に近隣からの出火で消失してしまいます。これは子供のころですが、遠巻きに現場を見て怖かったのを覚えています。
最後は「柳勢座」。もともと昭和6年に芝居小屋として開館しましたが、昭和29年から映画専門館になります。その頃は洋画も邦画も放映していましたが、昭和48年より成人映画専門となります。当時はビデオもインターネットも無い時代ですから、世の殿方はこういった映画館をよく利用していたようです。
しかし、春休み、夏休み、冬休みは、東宝チャンピオンまつりや東映まんがまつり、ゴジラ、ガメラ等々の上映で、客層は180度転換します。私たちも子供の頃はよく観に行きました。実は私の家の本家であり、受付が親戚のおばさんだったこともあり、顔パスで入っていました(笑/もう時効でしょ)。

で、今回は当時観た作品から「パンダコパンダ」を写真で掲載しました。これを観られた同年代の方も多いと思われますが、昭和47年に日中友好の一環として、上の動物園にパンダが贈られ日本中でパンダブームが巻き起こります。
それに乗じて企画されたのがこの作品。高畑勲監督がメガホンをとり、脚本を宮崎駿監督が担当し、まさにジブリの原型とも言える作品でした。写真を見てもわかるようにトトロに表情もシチュエーションも似ていますよね。懐かしい思い出は今も心に残っていますが、今では、柳勢座も無くなり、三津の映画館の歴史は幕を降ろしてしまいした。
今回の投稿のためにこの3軒の写真を探しましたが、ついぞ見つけることはできませんでした。こうやって歴史は人の記憶からも消えて行くんでしょうね...。
※追記/5軒だったというご指摘がありました。何せ私が生まれる前の話でしたので...。