昨年、三津浜小学校に残るお茶屋井戸の記事を書きましたが、三津にはもう一つ歴史のある井戸が残っています。
三津住吉商店街のほぼ西の端にある「辻井戸」で、今は小さな公園になっています。
この井戸の歴史も古く、寛永十二年(一六三五)に桑名から松山藩に転ぜられた松平定行が御船手四百戸の水を確保しようと掘らせたもので、当時、北浜町、南松前町、北松前町、江の内が交差する四つ辻に位置したのでこの名がつきました。
明治以降も生活用水として重宝され、桶で売り歩いた時期もあったといいます。前にも書きましたが、交易性の高い立地と、塩田、それに良質の水があったため、三津には、酒、酢、味噌、醤油などの醸造蔵が軒を並べたわけなのです。
しかし、みなさん不思議だと思いませんか? お茶屋井戸も辻井戸も当時は極めて海に近い場所にあったのに、なぜ良質の水が湧いたのでしょうね? 学の無い私の考えでは掘っても、掘っても海水しか出て来ないイメージがあります...。