2014年12月12日三津浜歴史探訪 その18 「港山城」(※湊山城)三津の渡しで三津浜側からたった80mの海道(正しくは松山市道高浜2号線)を渡った先が港山です。この小丘陵に河野水軍が拠点にした山城が築かれていました。かつては海岸線が入り組んでいて島のような形状であり、三津の港を見下ろすのに絶好の場所でした。
2014年7月28日三津浜歴史探訪 その17 「幻の料亭、三津の溌々園」かつて三津には「溌々園」という料亭がありました。柳原極堂も「友人子規」のなかで、「今の三津遊廓稲荷新地の北裏堀川畔にあって溌々園とも称せられし料亭のことにて、子規は此処に数回遊びしことあり」と記しています。
2014年3月17日三津浜歴史探訪 その16 「三津には人情通うお風呂屋さんがたくさんあった」昭和の時代、三津には映画館が5軒、ボウリング場が2軒ありました。私の記憶に残っているのは映画館2軒とボウリング場2軒。しかし、それより銭湯がとにかくたくさんありましたもちろん当時は古い家も多く、内風呂が少ない時代ですから、みんな銭湯に通うのがあたりまえでした。
2013年10月2日三津浜歴史探訪 その14 「梅津寺に飛行場があった話」大正の頃、堺市の日本航空輸送研究所は、海軍に働きかけて援助をとりつけ、水上機による瀬戸内海運航を計画します。堺市の海浜に基地を設け、海軍から中古水上機の払い下げと現役操縦者の割愛を受けて、まず大正11年11月堺~徳島間週一往復と、堺~高松間週三往復の定期運航(主として貸物)を開始